第17話 なぜ、フェアプレーの精神なのか?

「俺についてこい」

 このように言われたとしたら、満更でもない気持ちになるのではないでしょうか。確かに、勇ましい言葉ですし、何かを期待させる言葉でもあります。言われた側としては、どのような人が、どんな場面で発したかにもよりますが、その気になっても不思議ではありません。

 ところが、この発言は具体的に何かを約束しているものではありません。と言うより、約束しているようで何も約束していないのです。それでも、ついて行きますか。

 例えば、ビジネスで出資を持ちかけられて、同じ言葉を掛けられた場合を考えてみましょう。「この会社は将来性があるから必ずリターンできる」「悪いようにはしないから」。このように言われて大枚を投じますか、ということです。単に、「俺についてこい」では、何の保証もないですから安心できませんよね。

 これでは、おちおち経営などしていられないということになってしまいます。つまり、合理的な経営をするためには約束があって、それが守られることが重要だということです。これは、資本主義社会が成り立つための条件です。このような考え方は、ヨーロッパにおいてキリスト教によってもたらされました。聖書には、神と人間との間の契約が事細かに書かれています。この契約、すなわち約束を人間が守れば神も守るというものです。

 キリスト教は、旧約聖書で神との約束を守らなかったことにより、古代イスラエル王国が滅んだことを教訓にして作られています。神との契約は絶対。したがって、聖書を通じて「文書で交わした約束は必ず守られるべきもの」という概念が育まれたのです。このことが、対等である人間と人間の約束においても守られるべきだという観念を生み出したのです。だから、企業間において交わす契約書も、範は聖書にあるという訳です。

 このように、契約社会においては「約束を守る」というのが前提になります。言い換えれば、正直な人を守ろうとする仕組みが契約社会なのです。契約社会において、冒頭の「俺についてこい」という発言と同様に、約束をしないことによるリスクは高くなります。

 労働契約についても同じことが言えます。まずは、守れる約束をすることが大事です。これは、近年のトラブルが約束をめぐって起こっているからです。加えて、約束を周知すること。約束があっても、その約束を知らなかったら守れるものも守れないからです。

 労使間のトラブルを防ぎ、信頼関係を築くためには「約束を守る」というフェアプレーの精神で臨むことが必要です。あなたの会社では、社員ときっちり約束ができていますか?

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